熱海市民駅伝
駅伝に出た。

きっかけは、だいたいロクでもない。
飲みの席だ。
「俺だって昔は子供とマラソン出てさ、キロ4分25秒くらいで3キロ走ったことあるんだよ。今は無理かもしれないけど、そこそこはいけるよ」
…酔っ払いの“そこそこ”ほど、信用ならない言葉はない。
それなのに、なぜか話は前に進み、地域チーム結成、私はアンカーとして選手登録。監督は自らも走るプレイングマネージャー。大人の本気ごっこが始まった。
ところが現実は甘くない。
仕事、家庭、体調不良。メンバーはなかなか揃わない。
私はというと、練習に参加しながら自主練も続けたが、その代償としてお尻の中まで筋肉痛になり、二度も故障。
「無理は禁物ですね」
そんな優等生みたいなセリフを言いながら、まったく学ばない49歳である。
そして大会2日前の朝。
ドライヤーで髪を乾かしていた、その何気ない日常の中で事件は起きた。
首が、つった。
寝違えた?いや違う。
電流のような激痛が首から肩へ走り、思わず悲鳴をあげた。ドライヤー片手に、洗面所で固まる中年男性。絵面は完全にコメディだが、痛みはガチだった。
最後の練習はほぼ走れず、回復を祈るだけ。
前日、病院へ。痛み止めを処方される。
「ドクターストップはかかりませんよ」
この一言に、妙なガッツポーズを心の中で決めた。
薬を飲むと、嘘のように痛みが消える。
医学ってすごい。人間って単純。
とはいえ不安は残る。途中棄権するくらいなら娘に代わってもらおうかとも考えたが、監督と話し合い、
「優勝目指してはないので
分団長でお願いします」
この一言で腹が決まった。
大会当日。
時間を逆算してロキソニンを投入。
ドーピングではない、合法的な“中年の知恵”だ。
緊張は不思議とゼロ。
ただひとつ、首だけが不安材料。
そしてついに、人生初の襷リレー。
あの布には、なぜあんなに重みがあるのだろう。
走り出すと、もう細かいことは覚えていない。
視界は狭くなり、頭は真っ白。
チャッピーに教わったことも半分くらいどこかへ飛んでいったが、それでも呼吸とペースだけは必死に意識した。
沿道の声援が、久しぶりに沁みた。
知らない人の「がんばれー!」は、ほんと力になるよね。

最後の坂。
脚はきついがが、家族の応援で気持ちは上がる。
ラストスパート、そして襷をつなぐ。

待っていた仲間が抱きついてきた瞬間、順位なんてどうでもよくなった。
上には上がいる。速い人はいくらでもいる。
でも、「仲間のためにもう一歩」と自分を奮い立たせたあの時間は、間違いなく人生のハイライトのひとつだった。

来年は、あと30秒縮めたい。
そう思える自分がいることが、何より嬉しかった。
――そして昼すぎからの慰労会。
感動の余韻そのままに始まった。
私は「水分補給」と称して、14:00から21:00まで延々と補給を続けた。
気づいたら記憶がない。日本水は強力だ。
だが翌朝、ちゃんと風呂に入ってから寝ていたことが判明した。
駅伝でつないだのは襷だけではなかった。
最後は理性まで、どこかに見事につないでいたらしい。



