戦後80年を迎えるにあたり
丸木美術館と桶川飛行場へ行ってきました。


丸木美術館では、原爆の図という丸木夫妻が描いた原爆の絵を何作も観ました。
車が美術館に着くと、何か重い空気を感じました。
https://marukigallery.jp/hiroshimapanels/
丸木夫妻は原爆投下から1週間後に現地に入り、救助活動され、ご自身も被爆されたそうです。
裸で皮膚が溶けて手を上げてゾンビのように歩く人たち、子どもを守ろうと抱える母親、水を求めて折り重なる人々、まさに地獄絵図です。
丸木夫妻がアメリカで展覧会をした際に南京大虐殺で40万人の人が日本軍によって虐殺されたと聞き、その絵も描いたそうです。
私たちが美術館を出た後、地元の小学生らしき団体が20人くらい入って行きました。
この子達があの絵を見てどう思うのだろうか。
南京大虐殺で本当に40万人なのかはいまだに賛否あります。
当時は日中戦争が長引きゲリラ戦状態になり一般市民に紛れて攻撃してきた、物資も不足していて極限の状態だったという話もあります。
戦争とはそれだけ人間を追い込んでしまうのです。
一方的に日本を悲観せず正しく歴史を学んで欲しいと思います。
桶川飛行場も初めて行きました。








ここは特別攻撃隊の訓練基地だった飛行場後で、建物群が復元されています。
ここではひめゆりの学徒隊だった与那覇百子さんの話が放映されていました。
隣の壕に届け物を届けに入った瞬間、自分の壕で大きな音がした。
戻ってみると、上官の頭は飛び、同級生は壁に叩きつけられ顔面は潰れて、内臓が地面に大量に流れていたそうです。
あっという間に人間が人間の命を奪ってしまう戦争のリアルを感じました。
戦後、あまりの過酷さに当時のことを語る方は少なかったそうです。
私たちは、先人たちが必死に戦い守っていただいたこの国で平々凡々と生きさせていただいています。その英霊たちが、今の私たちを見てどう思っているでしょうか。
今年戦後80年、植民地になって80年でもあります。平和ボケした日本人が増えた今、このままだともう戦前になっているということに気付かなければなりません。
あたかも自分たちで作った平和だと勘違いしてしまう平成の時代を経て、
改めて日本人が自分たちの手で平和を作る時なのではないでしょうか。