ラーメン店「ハチ公」

私が好きだった小田原の「ラーメン店味壺」が暖簾を下ろしてから、何年、経ったでしょうか。

「あの一杯の衝撃を越えるラーメンは、もはや、まぼろしのラーメンとして二度と出会えないのだろうか」

そう思い込んでいた私は、いつしか、美味しいラーメンを「探す」ことを諦めていました。

それでも、ふとスープの香りを感じると、あの透明なスープと、湯気の向こうのご主人の丁寧な所作とサラリーマンの妻のような素人っぽい奥さんの優しくて温かな接客を思い出します。

味とは、記憶なのだとつくづく思います。

そんな折、当社のお客様が「ハチ公」という名のラーメン屋さんを開店させました。

正直、店の名前には少しだけ肩透かしをくらった気がしましたが、どこかユーモラスで、愛らしい響きでした。

ある人が言いました。

「塩ラーメンだけ。でも、一度食べて見たらわかります」

そしてこう続けました。

「まぼろしのラーメン店『味壺』にも、引けを取らない」

これを聞いて、心がぐらりと動きました。

そう言われれば、行かないわけにはいきません。

夏がそろそろ始まろうとしているさなか、ハチ公さんを訪れました。

外観はシンプルで整っています。

「らーめん ハチ公」と書かれた看板が掲げられており小振りな店です。

洒落っ気はありませんが、静かな自信が感じられ、扉を手前に引くと、ふわりとした出汁の香りが迎えてくれました。

客席はコの字型のカウンターに8席。

店長がその中を移動できます。

白衣と帽子を身に着けた店長が笑顔で接客。温かい眼差し。清潔感のある明るい店内です。

カウンター越しに見える厨房は、しっかり磨かれたステンレスが清潔さを感じさせます。

メニューは塩ラーメンを中心に、えびワンタンメンやチャーシューメン、夏限定の冷やしラーメンなどが並び、素材の良さを引き立てるシンプルで丁寧な構成になっています。

店長の挨拶は控えめでした。

カウンター席に座り「えびワンタンラーメン」を注文しました。

やがて、運ばれてきた一杯。

澄んだ透明のスープに、薄く香る柚子の香り。麺は整然とたたまれ、その上にチャーシュー、メンマ、えびワンタンが並びます。まず、スープをすくい、ひと口目で、私は静かに目を閉じました。

「心の声」

(出汁の輪郭が極めて明瞭なのに、どこにも角がない。昆布か、鶏か、魚介か。素材が何かを探ろうとするより前に、美味しい。柚子の香りが、強すぎず、そっと余韻を残して消える。その加減が、まるで職人の間合いのようだ。麺は、店長が特注しているという。たしかに、市販のそれとは明らかに違う。細めながら芯があり、噛むたびに小麦の香りがふわりと立つ。スープとの絡みも絶妙だ。そしてエビワンタン。ひと口食べた瞬間、ぷりぷりだ。海老そのものの旨みが舌の上でほどけ臭みは一切ない。ワンタンの皮も薄く、舌を包み込むようにやわらかい。チャーシューは、あくまで上品。脂の甘みがほんのりと残り、肉質は驚くほどしっとりしている。メンマも秀逸だ。やわらかいのに、コシがある。どこにも妥協がない)

食べ終えたあと、席を立つのが惜しく感じられました。

ご主人にスープの出汁は何かと尋ねると、「シジミ」だと言われました。

スープを飲んで少しもシジミの味はしません。

そうか、これが微妙な料理人の技なのだと心で納得しました。

ウォーターサーバーの水さえも、どこか美味しく感じるのは、気のせいでしょうか。

店内に流れていた音楽は懐かしい昭和のメロディー。ふと、高校生の頃、受験勉強しながらラジオを流していた頃の記憶が蘇りました。そんな記憶までも、この空間が呼び起こしてくれたのです。

店の隅々にまで、店長の「もてなし」の心が行き届いています。

トイレもピカピカでした。

料理とは作る者の心が味に出ると言いますが、この店はまさにそれでした。

「味壺」のラーメンは、今でも私の中で“まぼろし”として輝いています。

あの味を追い求める旅の続きがあるとすれば、「ハチ公」さんは、その旅路の確かな現在地だと思いました。

違う味だけれど、同じくらい深く、私の心を打ちました。

近いうち、ハチ公さんの塩ラーメンに、また会いに行くでしょう。

私の中で、「まぼろしのラーメン」に劣らない、塩ラーメンに出会ってしまったのですから・・・。